御朱印と御朱印帳の話し

以前より神社仏閣に参拝することはあったが娘が産まれてからや

父親が病に侵されてからは色々と手を合わせる機会が増えた。

今までは参拝のみだったが少し前より御朱印をいただくようになった。

元々興味はあったものの参拝の度にいただくと凄い量になることや

御朱印というものにそこまで必要性を感じていなかったこともある。

それと「御朱印集め」などと流行りだしたことが1つの要因でもあった。

なにせ流行というものをあまり好まない性格の故に仕方がない笑


最初に御朱印をいただいたのは2020年に霊峰白山に登った時のこと。

簡単に訪れて参拝することができない場所であることと

高い山の上まで自身の脚で登っていただくことが貴重だとの思いがあり

初めて御朱印をいただくことにした。


押印と文字が書かれただけの半紙ではあるが

なんだかとても大切に思えて時には手にとってみたりと

大事に保管して飾っていた。


その次にいただいたのが京都市左京区一乗寺にある狸谷山不動院。

ここの御本尊は洞窟内に彫られたもので訪れた際は運が良く

洞窟内陣の特別参拝が行われており御本尊を間近で拝見することができた。

薄暗い洞窟内陣で不動明王の前まで進みご尊顔を拝した際に

その鋭い眼光と迫力に心惹かれ、なにかこのご縁の証が欲しいと思い

御朱印をいただいたことがきっかけになったと思う。


と言っても、訪れる神社仏閣すべてでいただいているわけではなく

自身に関係していたり、ご縁があったり、惹かれたり感じたりした時のみだが。

そんな感じで御朱印をいただくことになり数枚集まってくると

御朱印帳なるものが必要となってくるわけで。

参拝した神社や寺で販売していたりネットでも購入ができたり。

デザインも様々で素敵なものもあるが1つどうしても気になることがあった。

それはそれぞれの神社や寺の名前が入っていること。

他の記名がある御朱印帳に別の神社・寺・宗派の御朱印をいただくということが

どうしても引っかかってしまった。

神社仏閣がそのような小さなことを気にすることはないと思うが

小さなことでも気になる僕には他所のものを持参することに違和感を覚えた。


そうなると神社仏閣が販売しているもの以外から選択する必要がある。

大事な御朱印を記入するものだけにとことん拘りたいとの思いが邪魔をし

納得するものを選べずに長い月日が流れることとなった笑


そんな折に、懇意にしていただいている方から御朱印帳が贈られてきた。

弘法市で見つけてくださった1点物で僕が好むデザインであった。

少し妥協しようかと思い始めていた時だったので驚きとともに嬉しかった。

いただいた御朱印帳は寺用に使用したために神社用のものを

自身で用意しなければいけないので現在もまだ思案中ではあるが笑


最初の1ページ目は義母が書いたものと決めていたので丁寧に貼りつけ

それまでに書置きでいただいていた他の御朱印も慎重に貼り

意味もなく何度も開けては綺麗に貼れず皺になった御朱印を見ている。


そして先日訪れた奈良県の長谷寺で初めて直書きをしていただき

仕上がっていく御朱印を実際に目の前にして大変素晴らしく感動した。

それと、御本尊の十一面観音もそれはそれは見事な仏様で

時を忘れ見つめ続けていたようで家族が側にいなくなっていた笑

長谷寺へは以前にも訪れているので御本尊も拝しているはずなのだが

なぜか一部の庭の景色以外、一切の記憶は残っておらず。

嫁が寺の娘であることや曾祖母が石山寺の出ということもあり

深く関係のある寺やお世話になったりなっている寺がいくつかあるので

機会があれば挨拶も兼ねて御朱印をいただいてみようかなと思う。

神社に関しても再度行きたいと願っている場所が何箇所かあったり

まだご縁がなく参拝できていない神社仏閣がいくつかある。

そう考えると、これから先の人生も楽しみが1つ増えた感じかな。


※母親手術前日の病院内にて、暇。



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