年末の恒例行事

毎年この時期に1番の厄介ごととなるのが年賀状。

来年には葉書の値段も上がり終焉に向かって加速するのかな。

できればその波に乗って我が家でも今回を最後にしたいのだが笑

喪中や止めてしまった方などで僅かな枚数となった。

そして必ず年明けに送れていなかった数件に慌てて送る作業が待っている。


LINEでの挨拶なら経済的な上に楽だから主流になるのが分かる。

しかし、連絡があると思っている人物からの通知がないと寂しいもので。

必ず向こうから送ってきてくれるから送ることなく待つのみ。

別に特別な関係ではないけど。

それでも。

結局連絡がつかないまま月日が流れ後から真実を知る。


最後に直接会話をしたのはいつだろうか。

どのようなやり取りをしたのだろうか。


もう存在が消えていたなんて誰が想像できる?

存在しているものとして過ごしていたんだけど。


少しでもなにか残っていないかとSNSでのやり取りを探しまくり

見つけた画面上の文章にはまだ存在していて。

なにか送れば返信がくるのではないかと思う時がある。


この時期になると年賀状の億劫さを日々思いながら

ついでに思い出す1つの恒例行事みたいなもの。

残されたSNSのどれかが更新されているのではないか。

もちろん今年も確認したのだが。

何年経っても更新されることはない。

友人を失った時、後ろ盾を亡くした時、

居なくなってしまった理由はどうであれ

もっと言葉を交わしておけば、

もっと一緒に居れば良かったと後悔が募る。

でも、お別れできたかの有無は雲泥の差。

どれだけ時が経過すれど、認めきることができない。


この年齢になると親を含め周りにも年寄りが増えてくる。

仕事で周るも元気にしているかの確認が目的となっている。

「あなたに会うのが楽しみ」

何を言っているのか。

じじい、ばばあになるのはまだ早い。

いままでのように鼻たれ小僧を叱咤激励していろ。


これから先、寂しく悲しい想いを何度も受け止めていくことになるのだろう。

それは突然やってくるもの。

何度も経験してきた。

後悔しないように、少しでも多く接しておくように。


特に親。

いつまでも元気だと大丈夫だと思っていたい気持ちが大きいが。

てめえの歳を考えろってことだ。


偉そうなことを言いつつ

未だにそれができず外見はおっさんの中身は子供がここに居る。

どうすれば大人になれるのだろうか。

子供の頃に描いていた大人からは程遠く

もうこの年齢は大人を超えてしまった年齢か。


そんな感じで年賀状を購入すらまだしていない上に

山積された用事からの現実逃避でブログを書いてるw


相変わらずだね。

突然声をかけられても驚かないけど

満面の笑顔にはなってしまうかもしれない。


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