老いた経緯

この記事は節目になると時々書く日記です。

いつか、娘がここを見つけて読むことがあればと

そんなことを想像しながらの親父日記。

2021年3月1日 高校の卒業式。


一瞬。


高校の合格発表を見に行く車内で

緊張のあまり吐きそうになってたのって

ついこの間のことのように感じる。


最終学年なんてコロナの影響で

まともに登校したのはほんのわずかな日数。


なおのことに一瞬の3年間。


来月からは大学生。


保育園・小学校・中学校の入卒業式。

そして高校の入学式とずっと参列してきたけれど

高校の卒業式は直接見ることは叶わずとなった。


このご時世、コロナで各家庭1人ってのもあるが

今までと違って月曜日にお休みがとれない環境。

残念だけど仕方がない。


いまでも鮮明に覚えている。

1人の男ではなく親としてスタートした早朝。

初めてのオムツ替えでえずくところから始まった。


ギリギリだった。


とにかく全てのことがこれまでに得てきていないことで

湯船の中に落としてしまったり、

夜泣きの時にどうしていいか分からず

お尻をつねったらもっと大泣きになってしまったり、

片腕で抱っこしている時に仰け反ってしまい

腰からグギッ!って大きな音がした時は

終わったと覚悟したこともあった。

まだまだ言えないことは山ほどあるけれど

本当によく耐えて生き抜いてくれたことだと思う。

まだ抱っこしていないといけない小さな頃から

保育園に通わせていた。


朝、起こして朝食を済ませ準備をして園まで送り

夕方のお迎え後はそのまま仕事に戻り

おんぶをしながら作業をしていた。

一緒に買い物に行って夕ごはんを作って

食べて遊んでお風呂入れて寝かせた。

それまでとは全く違う生活スタイルの日々。


まだまだパパがいないと何もできない。

朝は離れたくないと泣いてしがみつき。

お迎えに行けば園庭から走ってきて

満面の笑顔で抱きついていた。

どこへ行くのもなにをするのも一緒。


この頃のパパはまだ若く髪だけでなく眉も髭も染め

匂いを付け首や指や手首に飾り付けて

先生やママさんたちに笑顔とフェロモンを振りまくっていた。

まだ煙草も吸っていた。

そして小学校にあがり毎日の送迎はなくなったけど

登校班の集合場所までは毎朝送っていくことは続いた。


毎日笑顔で元気いっぱいに遊んではいたけれど

時には理不尽なことにまきこまれ泣き続けていたり。

とても荒れた世代だったので日々なにか起こる世紀末。

とにかく無事で笑顔で帰ってくるように祈り続けていた。

それほどにこの世代はデンジャラスだった。


さすがに詳細を残すことはできないが

卒業後に進む中学校側がこの世代が入学してくると

早い時期から対策会議を何度も開き先生の入れ替えをした。

中学校で同じになる別の地域の親たちも嘆き悲しんでいたほど。


一方、パパの方は委員や役なんかが良くあたり

多くの女性の中で男1人の環境が続くことになる。

6年間もあれば子供関係のことで様々なことが起こるから

女性の中に男1人でやっていくことに精神がもたなくなっていた。


中学生になり毎朝玄関でのお見送りだけになって

独りになる時間も増えどうして良いのかわからず

部屋の隅で三角座りをして待つ生活になりつつあったけど

いざ中学生活が定着しだすと体調を崩した、

部活で怪我をしたと何度も何度も学校まで迎えに行ったり

先生と頻繁に連絡をしなければいけない忙しさが待っていた。


部活を始めて必死の努力でレギュラーの座を取り

副キャプテンになり年中部活が主体の生活だった。

寝ても覚めてもとにかく部活。

※インターハイの中止

※最後の大会


生意気な口を聞くようになり少しずつパパ離れも始まった。


一方、パパの方は

この時期に走り始め男のお友達が増えて

ピンク系や可愛い系の物を持たなくなっていく。

服装の拘りもなくなりランシャツを普段着にすることを覚えた。


高校生になってからは表に立つことをやめて

3者面談以外の学校関係からは退いたこともあり

さすがに学校に行くことも殆どないかなと思っていた。

それに女子高生、勝手にするだろうと。


ところが、

なぜか頻繁に起こる駅までの送迎と体調不良。

結局は何度学校まで車を走らせたことか。


甘々だなと思ったこともあったが勉学に部活にと

全力で取り組み成果も出しているからいいかなと。

そう思いつつもパパが側でお世話をしたかったのかな。

次は大学生。

さすがにいままでのように側に居続けることはないだろう。


これからはもう今までとは違うから

親では判断できない助けてやれない

もう甘えられないことも多々増えていく。

責任を持ち覚悟して生きていく必要があることを伝えた。


父親だけど娘にとっては

半分母親としても生きてきた18年間。

なので世間一般で言われる

娘が父親を避けたりまともな反抗期はなかった。

小さい頃はパパは半分女と本気で言っていた。


そんなこともあり普通に異性の話しもするし

父親には言わない内容の話しも普通にしていると思う。


羨ましがってくれる人もいるけれど

いまとなっては独り立ちできるのか

異性ともまともにお付き合いできるのか結構不安。


男が育ててきたから良い面に働いてくれることもあるが

女性として利用できる特有のものを使う気がないのか

使えないっていうか、さすがにそれは教えてやれなんだ。


それでも女の子なもんで毎日飽きもせずに

服装や髪型やお化粧のことばかり必死になっている。

髪の毛の色も変わったし耳に3つも穴が開いた。


もう、老いたパパでは昔のように相談されても

答える術を持ち合わせていないんだけどね。


まだ数年間はあなたに莫大な学費が必要。

独り立ちする日まではなんとか耐えていきます。


とにかく

何か1つでいいから

これっていうものを見つけて貫きなさい。


自由に生きなさい。


パパとは全く別の人生を送りなさい。


どうしても無理な時は頼りなさい。


親だから


命ある限り


あなたのために生きる以外ないのです。


始めてオムツを替えた時に誓った思いは

決して消えることはありません。

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